H E L P

膝と,両肘とすねに掠り傷と切り傷。右膝にはでっかい青アザ。多分、背中やおなかにはもっとあざが出来てるに違いない。面倒だから、マキロンを直接傷口に吹きかけた。ジクジクと痛む其処はかすり傷という大きさじゃなく、結構染みた。底からこみ上げる痛さに思わず身震いする。あぁ、鳥肌が立った。(気持ち悪い)





「ったくよー、くだらない事ばっかりしないで欲しいよね」






ブツブツと独り言を呟きマキロンを棚に戻して、その流れで湿布を取り出す。箱の中に入った其れは残り三枚で。湿布特有の臭いがあたしのデリケートな目を攻撃した。じんわりと涙が込み上げてくる。思わず湿布を持っていない方の手で目を覆った。同時に、先ほどの感情がフラッシュバックしたように浮き上がってくる。最悪だ。




「…最悪、だー…」
「何が?」






目をゴシゴシと擦ると、声がした。否、擦っていたら声がした。なんともタイミングの悪い声。それでも不意打ちのその声に、あたしはビクッと肩を揺らしてしまった。なんとも恥ずかしい。あたしはその声の持ち主が顔を見ずとも予測できたので振り向く事無く返事をする。




「…何で此処にいるの?部活中だよ、越前」
「其れを言うならあんただって」
「……あたし、は、…此処に用事があるからいいの」






目に染みる湿布を一枚取り出すと、適当な大きさに切る為、はさみを取りに先生の机に向う。何かの書類と思しき紙が散乱していた。中には極秘という紅いスタンプの押された紙と封筒も混じっている。まぁ、何というか、いくら此処――保健室で書類を漁る生徒が居ないからと言っておおっぴらにこういうものを整理しないのはどうかと思う。保険医の癖に整理整頓が誰よりも苦手な先生の、いつもどこか抜けてる初老の優しい顔を思い出した。水曜日の放課後、今日は恒例の職員会議と称する只の生徒に対する悪口会。先生は今会議室で毎度の事のようにウトウトしているに違いない。あたしはそんな脱線した考えをしながら湿布を4等分にした。大きさ的には丁度良いが、少し足りない。まぁ、いいか。酷い所だけに貼り付けよう。






「ねぇ、マネージャーが居ないと部活が上手く出来ないんだけど」
「…有能な部長さんが何を言うの。あたしが行かなくても他の女の子に頼めばやってくれるよ」





あんなにフェンスに集ってるんだから、あたしは湿布のフィルムをはがしながら言った。越前の溜息が聞こえる。何だそれ、溜息をつきたいのはあたしの方だ。少しムカッと来て、思わず顔を越前に向けた。




「越前、早く部活に戻って。部員が…っ」





一瞬広がる違和感。文句を言いかけた口は勝手に止まる。雰囲気が、今まで感じた事のない雰囲気があたしを包み込む。飲み込まれた感覚があたしを襲う。越前の目が、あの何に関しても無頓着だったあの目が、あたしをねめつけていたから。思わず目を見開いて後ずさってしまった。雰囲気が、あの時に似ていて。





「な…に、えちぜ…」
、俺が何も知らないとでも思ってた?」
「え…?」





無意識のうちに体が強張ってカタカタと震えだす。ヤメテよ、あたし、その雰囲気苦手なのよ。彼女たちと同じ雰囲気がする。越前は、身長の関係であたしを見下ろすように近づいた。中学に入学した頃、あたしがマネージャーになった頃、越前よりあたしの方が身長が高かった筈なのに、今では越前の方が大きくて。去年卒業していった桃城先輩が、大きくなったって驚いていたのを思い出す。




「その怪我、あいつ等なんでしょ」
「…っ、」




急に越前の視線が鋭くなった。あたしは更に萎縮する。今まで合っていた視線が合わなくなる。越前の視線はあたしの顔じゃなくて、もっと下―――膝の辺りを睨んでいて。何でそんな所を見るのかと一瞬考えて其処には湿布を貼ろうと思っていた、大きなアザが出来ていたのを思い出した。見つかった、そんな事を思った。





「ち…ちが…」
「違うって言うの?あいつ等を庇うつもり?」





人間って面白い物で、何故か怯えてしまうと何を言われても否定してしまう。あたしも論外ではなく、無意識のうちに口が勝手に否定していた。越前はまた一歩、あたしに近づく。思わずぎゅっと目を閉じた。真っ暗で、何も見えない。(当たり前だけど)ドクドクと自分の心臓が脈打つ音がやけに大きく感じられて、気持ち悪い。目を閉じた向こう、何かが動く気配がした。



「…?」




自分で目を閉じていたのに、何も変化のおきない周りの状況にゆっくり、そっと目を開ける。瞼をゆっくり持ち上げて、少しの光を得た先には大きなSEIGAKUの文字が見えて一瞬自分の配置を忘れてしまった錯覚が、湿布の微かな臭いに紛れて消えていった。



「…越前…」






あたしは一瞬、さっきまでの威圧感を忘れて声を投げかける。トレードマークとなっている帽子を右手に持ち、彼は気だるそうに背を向けていた。
何時の間にか大きくなったその背中には、何となく呆れたという雰囲気が漂っていてあたしは何となく焦りに似た感覚を感じてしまった。





「処置終ったんなら戻るよ、部活」



暇じゃないんだから、と彼は似合わない言葉をこぼし、あたしを保健室の外に促した。あたしは半ば、力が抜け始めた身体を何時の間にか寄りかかっていた机から引き離し空いた手で先ほど張った湿布の部分を軽く押さえつけた。まだ少し痛む。




「先行ってて。まだ…あるから」
「…」





何となく、越前の傍に行く事が出来なくて、あたしは咄嗟に拒否の言葉を発した。気にかけてもらえることは嬉しいのだけど。でも、何故か今の自分では、彼の傍にいたらいけないような、そんな気がして。そんなあたしの言葉を受けて、彼、越前は大きな溜息をついた。(なんだろう、この寂しさは)あたしは再び妙な焦りを感じて口を開きかける。だけど、越前はチラリともあたしを見ないで保健室から出て行った。広く見えたあの背中が、保健室の扉の向こうに消えていく。そして、妙な虚無感があたしを包み込んだ。じんわりと別の感情で涙が浮かんでくる。そう、あたしは、越前に恋をしているのだ。臆病なあたしは、言葉にすることができないのだけど。はぁ、とその日何度目かのため息をついた。幸せが逃げていく。
















「ねぇ、ちょっと良い?」




週末、金曜、晴れたお昼。いつものように一人、晴れた空の下で好物の焼きそばパンを食べようと教室から出るや否やケバイ集団に呼び出しを食らった。あぁ、面倒くさい事この上ない。彼女たちに呼び出されたのは、いつものあの場所、そう、お約束な体育館倉庫。彼女たちはあたしを先に体育館倉庫に押し込むと、ウザそうな顔であたしを睨んだ。そして包帯の巻かれたあたしの膝を見て、また嫌そうに眉間に皺を寄せる。




「随分とまた、大げさに包帯巻いたのね。そうやって同情買うつもりなの?」
「…」
「なきついたりしてるの?見苦しい」
「…」




次々と静かな中傷が始まる。彼女たちのやり方だ。最初に精神的に追い詰め、最終的に身体に傷をつける。黙っていれば、いいのだ。こうして聞き流していれば、早く終る。幸いお昼だ。長いことやられない。…分かっては、いるのだけれど。次々と言われるその言葉たちに、あたしの精神は結構傷つけられる。





「越前君、使えないマネージャーなんか要らないって。早くやめたら?」
「…!」




そう、彼女たちのやり方なのだ。精神的に、傷つけて、じわりじわりと。(あぁ、苦しい)いつもの事だ。黙っていれば良いのだ。そうすれば早く終る。終ったら、またあたしは平気。平気、(な、はずだ)だけど、あぁ、なんだろう?この悲しさは。今まで聞き流していた言葉が、急に、その言葉を堺にあたしの精神に、痛みを残し始めた。あぁ、分かってる。あたしがいけない。そう、あたしは彼に、越前に迷惑をかけているのだ。彼が嫌がっているのも当たり前だ。早く辞めればいいのに。どうしてあたしはマネを続けているの?

痛い、痛い。凄く、苦しい。泣きそうだ。否、もう泣いているのだろうか?もう、分からない。ごめん、越前。






「越前君が迷惑してるのよ。消えてくれない?」




「誰が迷惑してるって?」








あたしは下を向いていた。いつの間にかきつく握り締めた両手を見ていた。意識のどこか遠くで聞こえた、誰かの声に、あたしを取り囲んでいた彼女たちがはっとしたように体を動かしたのが、ぼんやりと見えた。あの、入り口に立っている人は、誰だろう。





「ねぇ、オレがいつ迷惑だっていった?」
「ちが、越前君…!!あたしたちはただ…」




誰かが必死に弁解しているのが聞こえた。そしてなぜかぼんやりとしたあたしの脳に異質な響きが届く。越前…?ハッ、として顔をあげた。その拍子に、いつのまにか目に溜まっていた液体が、頬を伝った。


瞬間。




越前の大きな瞳がもっと大きく開いて、越前が大きく腕を振った。



ガシャンッ
激しく何かが倒れるような音がして、ばらばらと授業用のテニスボールが床に転がった。彼女たちが、ヒッと小さな悲鳴を上げるのが聞こえた。越前は倒れた籠を彼女たちの方へ蹴る。そしてまた耳障りな金属音が耳を劈く。



「ねぇ、早く消えてくれない?あんまり我慢って得意じゃないんだよね。オレ」
「ご…ごめんなさ…「聞こえなかった?早く、消えて」



まだ何か言いたそうな彼女たちの言葉をさえぎる。帽子の向こうからの鋭い視線は、恐怖心を植えつけるには十分だった。さっきまであたしに強気な口調だった彼女たちは目に涙を浮かべて、小走りで出て行く。あたしは呆然とその光景を見ているしかなかった。




「…



扉の向こうに消えた彼女たちの足音を聞きながら、越前に呼ばれる。深く帽子を被った彼の表情は見えない。一歩、一歩と歩み寄ってくる。あたしは思わず一歩、下がった。なぜか怖かった。あたしが下がれば、越前も一歩近づく。トン、と背中が壁についた。もともと、壁との距離はそんなになかった。越前は歩みを止めない。壁があたしを越前に押しやっているような錯覚がする。越前に向かって、壁があたしの背中を押す。




!!」
「…っ!」




一瞬だった。痛いほど腕を握りられて。彼のごつごつした、しかしながら綺麗な指があたしの腕に食い込む。顔をしかめる暇もなく、あたしの頬は、彼の胸板に押し付けられていた。


「えち、ぜ」
…守らせてくれ、よ」
「…え」



コトリと心臓が鳴る。急に名前を呼ばれたことか、それとも




が大切なんだ…好きなんだ」
「…越前、」



トクトクと越前の鼓動が聞こえる。恐る恐る顔を上げると、大きな瞳と視線が合った。吸い込まれそうな、大きな瞳。意思の強い、強い瞳。



「……リョーマ」





吸い込まれるように、名前を呼ぶ。越前の、リョーマの瞳が微かに揺れた(気がした)。



「頼むから、」


あたしの体を包み込む越前の腕が微かに震えていて小さく、越前、と声を漏らすと腕に力がこもった。あたしはなぜかひどく安心してしまって。越前にしがみつくように泣いてしまった。





、」




耳元にあたる息が、くすぐったい。あたしはくすぐったくて小さく笑った。リョーマの小さな笑い声が耳元で聞こえて、背中に回した腕に力を込める。




「あたしを守ってね、リョーマ。」





ほんの少しだけ、涙が残る瞳で見上げて微笑む。暖かくて、安心できる腕の中、あたしはなんだかとても幸せな気持ちだった。
リョーマの顔が、だんだん近づいてきて 返事の変わりに、唇があたしの唇に重なった。




















                              (頼むよ、マイダーリン)