「俺、結構寂しがり屋なんだぜ?」 リョーガはぼんやりと呟くと、大きな荷物からはみ出したグリップの部分を握り締めた。少しかばんのチャックが開いて、柑橘系の、甘酸っぱい匂いがツン、とあたしの鼻を刺激する。たぶんこれはオレンジの匂いだ。彼の家に、立派なマンションの、男が一人で料理するにはとても設備の整ったあのキッチンにいつも置かれていた、太陽みたいな色をしたあの果物。オレンジが入っていると思われるその荷物を、グリップを見つめるリョーガの横顔はなんだかちょっと、寂しそうで、見てるこっちまで寂しくなってきてしまう。 「ついてきては、くれねぇんだよな」 「…うん」 「俺がどんなに寂しいって言ってもか」 「…ごめん」 リョーガの大きな、大げさなため息が耳に入る。アメリカ暮らしが長かった為のリアクションなのか、ただ単に、本当にそれほどまで寂しいため息だったのか。あたしはスニーカーのつま先に視線を向けたまま、顔を上げることができない。白と黒の、皮っぽい生地でできたそれは、つい一週間前にリョーガと一緒に選んで買ったものだ。一緒に買い物に出かけて、オレンジを買って野菜を買って。 帰り道、ショーケースにごしに見えた可愛いパンプスに見とれて、あたしが立ち止まるとリョーガはあたしの手を引いて店の中に入っていった。大手メーカー(否、軽くブランド物だろう)のその、白と黒のモノトーンのスニーカーを手にして、リョーガは他のパンプス類とを見比べながらも、これが良いと言って。そしてあたしは思い切って買った。 あの日々が今はひどく懐かしく感じる。 「リョーガ、もう、戻っては来ないつもりなの」 「…さぁな」 あの時新品だったスニーカーは少し履き崩した感じが出ていた。それほどまで、あたしはこの靴が気に入っていて、どこに行くにも履いていった。リョーガのいるストリートテニスや、ロードワークについていった時の軽い山道。はたは、土砂降りの中、リョーガと二人、びしょ濡れになって帰った、あの道でも。たった一週間前なのに、こんなにも変化してしまうものだとは。 彼が曖昧な返事をするときは、肯定しているときだ。だから彼はもう、戻っては来ない。また別の土地へ、自分の可能性と夢を探しにいってしまう。まだあたしが中学生だった頃に出会った彼は、やはり自分の可能性と夢を求めて日本へやってきた。 彼となら、この地できっと幸せな生活が送れると、そんな甘い夢を抱きながらこの数年間、彼の隣にいた。ただ、ずっと隣にいられると信じて。 だけど彼は行ってしまう。同じように、夢を探して、自分の可能性を求めて。自分の可能性と、限りない将来を求めているのだから、あたしにそれをとめる権利は ない。そう、彼は、自由に、もっと広い世界へ自分自身を連れて行ける人なのだ。あたしが荷物になるわけには行かない。 「…じゃ、な。。さよならだ」 「…うん」 リョーガは大きな荷物を持ち上げて、しっかりとした瞳であたしを見た。大きくて、少しつり目な、だけど意思のしっかりある目。あたしは、この目が好きだった。少しお茶らけた性格も、テニスをしているときのあの生き生きした表情も。 「最後に言う、」 「……?」 少し憂いを含んで、だけどいつものお茶らけたあの顔で、少し恥ずかしそうに、寂しそうにあなたは、笑った。 「俺、お前のこと、すげー好きだぜ。これからも、ずっとな。」 オレンジ色の夕焼けを背にして、静かに彼は言った。悲しいくらいきれいな言葉だと思った。あたしは綺麗な言葉が胸に響きすぎて声が出なかった。彼は、困ったように笑った。 不真面目で、落ち着かなくて、変な仕事ばかり引き受けて。だけどとても優しくて、まっすぐと前を見つめている。彼は、ここで自分の弟の成長を見つめてきた。彼の弟――リョーマの成長を耳にするたび、うれしそうに目を細めて、憎まれ口を叩きながらお兄ちゃんの顔をしていた。いつだって一人で物事をそつなくこなし、自分の夢になりうるものがあれば惜しみなく没頭した。あたしは、そんな彼の邪魔にはなりたくはなかったのだ。 好き過ぎて、きっと縛り付けておきたくなってしまう。彼は優しい人だから、そんなあたしをも受け入れて傍にいてくれるはずだから。だから、あたしは差し出された手をとらなかった。とる事ができなかった。多分、もう、彼には会えない。そして、手紙も、電話もできなくなるだろう。ここで糸が切れてしまうなら、それが良い。彼には自由に、生きてほしい。 だんだん遠くなる彼の背中が何故かすごく寂しく見えて。一緒に行かない、と答えたのはあたしで、さよならと言ったのはあの人で。涙でどんどん見えなくなる。大好きなスニーカーの上に、水滴が落ちてゆく。 |
最終的には結局